「はぁーーーっ!!」
やりきれぬ思いを、トレーニング人形にぶつける宗太だったが、なにかふわふわとしたものが近付いてくるのが目の端に写り、思わず武術の稽古を中断した。
「今の・・・何・・・?」
「・・・幻覚・・・?妖精が・・・見えたような・・・。」
それは家の敷地内に入り、真っ直ぐに玄関に向かっていく。
しかし、それは幻覚などではなかった。
ドレスを纏った橘花の姿が、そこにはあった。
「き・・・橘花さん!」
「あー・・・見られちゃった・・・。」
「ど・・・どうしたの!?その格好!!(・・・ま・・・まさかお父さんと結k・・・)」
「ん~・・・ロッタの試着に付き合ってサロン行ったら、ワタシまでこんなの着せられちゃって・・・。」
ロッタに強引に、そのまま帰れ、と言われて、仕方なしにドレス姿のまま帰って来た橘花だった。
「こんなの・・・似合わないからイヤなんだけど・・・。」
「似合わない・・・?」
『・・・何が似合わないだよ・・・。妖精・・・?天使・・・?女神・・・?まるで・・・この世の人間じゃないみたいだ・・・。最高に・・・キレイだ・・・。』
↑だからどんだけ橘花好きなんだよ・・・お前・・・
「き・・・キレイだよっ!」「・・・別にお世辞はいいのよ。」
仮にも芸術家の端くれでありながら、それ以外に表現する方法が見つからないのが、宗太にはもどかしかった。
「あ~・・・早く着替えようっと。」
声や仕草は、確かにいつもの橘花なのに、今にも目の前から消えてなくなりそうな・・・そんな儚ささえ感じる。
「ちょ・・・ちょっと待って!・・・あ・・・カメラ・・・カメラ持ってくるから・・・。」
「イヤーよ!写真なんか!」
「だって・・・記念に・・・。」
「なんの記念よ!ワタシなんかより、ロッタを撮ってあげてよ。もうすぐ帰ってくるから!」
だったら、この姿を目に焼き付けておくしかない。
悔しい・・・。
ずっとずっとその感情はあったのだが、橘花が左京の為に、この姿になる日がくるかもしれない、ということを考えると、左京に対して言いようのない嫉妬を覚えた。
どんな手を使ってでも手に入れたい・・・。
左京には渡さない・・・。
今、宗太は、はっきりと左京に敵意を抱いていた。
「やぁ。ダニエル。」
「ん?」
「あ。エリック。どうしたんだ?病院、辞めちゃって・・・。」
「うん。病院勤めは元々、クレメンタイン事業団のメンバーという素性を隠す、隠れ蓑だったからね。」
「ふーん。」
橘花から命じられた遺産の使い道・・・その一つ、『クレメンタイン記念館』の建設は、今、設計段階である。
クレメンタインの名に恥じぬ素晴らしい建物を建てようと、事業団で話し合い、今までのようにクロムウェル家で、その建築を行う予定だった。
「橘花のヤツ、遺産、どうするか考えたんかな?」
「ん?ダニエル、君は知らないのか?」
「だって俺、仕事忙しくって、あんまアイツと話ししてないんだもん。」
「ほっほっ。そうか。」
命じられた二つ目・・・病院を買い取る手筈はほぼ整った。
そんな時にたまたまダニエルをここで見かけたので、話をしておこう、とエリックは思った。
「橘花ちゃんは・・・たいした子だよ。我々の思惑など、まるで意に介さず、自分の信念を貫こうとする。」
「・・・なんの謎かけ?」
「別に謎かけではないさ。そのままの意味だよ。」
「・・・あっ!そうだ!橘花のヤツ、大金持ちになったんだからさー。俺んちの再興に、ちっと融資してくんないかなぁ。」
「ダニエル、君はずっと、橘花ちゃんにそれを訴えていたそうだね?」
「おう!あんだけの遺産がありゃ、俺んちを取り戻すのなんか、ちょちょいのちょい・・・。」
「君の家の再興に力を貸す。」
「・・・えっ?」
「橘花ちゃんの命令だ。ツイン・ブルック基幹病院をあの遺産で買い取り、『クレメンタイン記念病院』と名前を改めること。そこの院長に君を指名すること、とね。」
「ええっ!?お・・・俺が!?」
「・・・はは。まさか・・・。」
「君は軽口で冗談めかして言っていたのかもしれないが、橘花ちゃんは本気だ。」
「え・・・。」
「君が新しい病院の院長になれば、旧家の再興などたやすいだろう?」
「・・・またまた~・・・冗談うまいんだから・・・。」
「冗談?そう思うなら、辞令を待ちたまえ。今週中にも病院の新体制について正式に発表がある。そこで、橘花ちゃんの本気を確かめるんだな。」
「・・・本当に・・・?橘花が・・・?」
ダニエルには、俄かに信じられなかった。
あれほど望んでいた家の再興・・・。
橘花がクレメンタインの遺産を手にすることが出来ると知り、ほんのちょっぴりでも恩恵に預かれればいい・・・その程度の軽い考えだった。
「院長に納まり、元の家を買い戻し、今後は家の発展の為に頑張ることだな。・・・さすがにそこまでは、橘花ちゃんは手を貸してはくれないよ。」
「・・・。」
家の再興を確かに望んでいたはずなのに、ダニエルの心は浮き立たなかった。
それは・・・クレメンタイン・ハウスで暮らした日々が色鮮やかな記憶になって、生まれ育った家を売らなければならなくなったこと、兄と離ればなれになったこと、医者として働かなければならなくなったこと、あの家で暮らし始める前までのすべての辛い出来事を思い出す暇もないくらい、楽しかったからだ。
6人で暮らした日々・・・笑い合ったり、喧嘩したり、切ない想いをしたりしたこと・・・それが今、遠ざかろうとしていることに、寂寥感を覚えていた。
「・・・今度こそ・・・。」
武術の稽古で疲れていても、宗太は1日に一度は、必ずキャンバスに向かった。
何枚も、何枚も、どれだけ懸命に描いても、納得できる作品が出来ないのだ。
「これで・・・どうだ!!」
描きあがった絵を眺めていると、橘花の、そしてクリスの描いた絵が、まざまざと脳裏に甦ってくる。
「・・・ダメだ・・・やっぱり・・・。」
あの地下室で見た絵には、到底およびもつかない。
自分の筆遣いなど、まるで子供の手慰みのように思えた。
「坊ちゃん、今度、武術の指南、してくれよ。」
「・・・ボクが教えなくったって、ギルさん、運動神経いいんだから、ちょっとやれば覚えるよ。」
「ま、でも最初の型とかあるだろう?」
午前4時。
宗太はベッドに入っても寝付けずに、階下に下りてくると、ギルは既に目を覚まし、ロッタは今、仕事から戻ったようだった。
この家で、住人全員が寝静まっている時間など、ほとんどない。
「・・・坊ちゃん。そんなもの身体に悪いぞ?メシを食え。」
「・・・食欲ないんだ・・・。」
「だったらちゃんと睡眠を取れ。なんだってこんな時間に起きてるんだ?」←お前はw
「眠れないんだよ。ほっといてよ。」
「・・・そうか。」
「・・・ま、運動して身体が疲れたら眠る。きちんと眠れば、食欲も湧く。腹が満たされれば、睡眠も取れる。人間の身体ってのはそういうもんだ。」
「・・・分かってるよ・・・。」
そんなことは分かっている。
けれども、どうしても眠れないのだ。
身体は疲れているはずなのに、横になって目を閉じても、眠りに落ちていけないのだ。
「・・・ま、武術指南の件は頼んだぞ。」
「・・・。」
「・・・宗太ー。なんでギルにあんな言い方するの?ギル、心配してくれてるんだよ?」
「分かってるよっ!」
「・・・言われなくても・・・分かってるよ・・・。」
この悪循環を断ち切る方法・・・宗太はそれを、ずっと考えていた。
「・・・ん~・・・。」
「よっと・・・。」
「明日こそ~・・・。」
「・・・む。この布石はイマイチだ・・・。」(チェスは布石とか言わないんですかね?)
深夜、考え事をしながらチェス台に向かっていると、携帯が鳴り出した。
出なくとも相手は分かっている。
マネージャーの米沢からだ。
「・・・うるせぇなぁ・・・。シカトぶっこいてやるっ。」
しかし、電話を取らなければいつまでも鳴らし続けられるし、何度でもかけてくる。
「・・・ったく・・・。集中できねぇ。」
「なんなんだよ・・・いったい・・・。」
「・・・あ~・・・番号、お間違いじゃないですかぁ~。違いますよ~。」
そう言ってはみたものの、はい、そうですか、とはいかない。
今どこにいるのか、何をしているのか、としつこいくらいに聞いてくる。
「・・・うるっせぇんだよっ!!家にいるよっ!!バーカっ!!」
「・・・うぜぇ・・・。番号、変えようかな・・・。」
そう思いたくなるほど、頻繁にかかってくる。
もしかすると・・・社長に命じられ、監視されているのか・・・?と朧気ながら気がついたのは、この時だった。
『・・・明日は・・・。』
『・・・左京と顔合わす前に出掛けよう・・・。』
左京が作ったパンケーキを頬張りながら、橘花はそう思っていた。
顔を合わせれば、きっと左京はまた誘ってくる。
抱き締められれば、その腕を振りほどくのが惜しくなる。
『やっぱりワタシって・・・。欲が深くって、イヤな女・・・。』
『パパ・・・。』
あと1ヶ月・・・。
1ヶ月経てば、左京を解放してあげられる。
圭介が傍にいないことが、こんなに心細く感じられたのは初めてだった。
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