「橘花・・・ゴメン・・・。俺・・・こんな時になんの役にも立たない・・・。」
出発の朝を迎えた。
昨夜はほとんど眠れず、ベッドに入っても寝返りばかり打っていた。
橘花もそれは同じで、けれどお互い何も言わず、ただ触れ合った指先を絡め、手を握り合って、そのまま夜明けを迎えたのだ。
「左京・・・本当に大丈夫だから!」
「うん・・・。」
「橘花・・・絶対に電話して?」
「もちろん。」
「かかってこなかったら、何度でも何度でも何度でもかけるからな・・・。」
「ちゃんとかける。」
「今夜もだぞ?俺・・・現地に着いたら、すぐ電話するから・・・。」
「うん・・・。」
左京が、叶わないことだとしても、『一緒に行く』と言ってくれたことが嬉しかった。
あれからなんの連絡もないので、圭介の状態を窺い知ることは出来なかったが、何かあれば連絡してくるはずだ、と橘花は思っていた。
それでも、圭介の身が心配なのには変わりはない。
「橘花・・・キスして・・・。それだけでちょっとは元気になれるから・・・。」
「ん・・・。」
お互いに、こんな不安を抱えたままの旅立ちになるとは思わなかった。
「元気、出た?」
「ちょっとは・・・。」
「ちょっとなの?」
「大丈夫。・・・行くよ。」
「よし!頑張れ!佐土原左京!」
「昨日もそれ聞いた。」
「ワタシも・・・頑張るから。」
「うん。」
「・・・じゃ、みんな。後のことは・・・頼む。」
「任せろ。左京、お前はライブに専念しろ。」
「・・・ああ。」
「橘花・・・行ってくる。」
「左京。いってらっしゃい!!」
橘花の笑顔に見送られ、左京はこの家を後にした。
「左京・・・。」
「大丈夫!何があってもワタシ・・・あなたから離れないから!」
気持ちだけはずっと、左京と一緒にいる・・・。
お互いの肉体は離れても、魂は寄り添っているから・・・左京にそれを分かって貰いたかった。
ずいぶん長い時間を、この家で過ごしたような気がする。
だが、実際には、40数年分の人生のほんのわずか。
なのにこんなに離れがたい。
振り返れば戻りたくなる。
だから左京は、思い切りアクセルを踏み込んだ。
自分は、進まなければならないのだから。
「橘花ちゃん・・・私もそろそろ出なくちゃいけないわ。」
「ええ!米沢さんによろしく伝えてください!」
「分かったわ!明日・・・お父さんに会えたら、すぐに連絡して!」
「はい。」
そして京子も、左京の後を追うように旅立って行った。
「あ・・・そうだ・・・。俺、左京に言いそびれちまったんだけど・・・。」
「どうしたの?」
左京と京子、二人がいなくなっただけで、なんだか家の中がやけに静かになったように感じる。
けれど、ギルの次の言葉で、橘花はそんな寂しさも吹き飛んだ。
「こいつ・・・子供、出来たんだ!」
「え!」
「ホント!?ギル、ロッタ、ホントなの!?スゴイ!!素敵っ!!」
「昨日ね~、ライブの前に病院行って、分かったんだぁ。」
「こいつさ・・・ライブの最中にそれ、言うんだぜ。」
「そうだったんだ!!おめでとう!!・・・でも・・・あんな激しいライブ見て、大丈夫だった?」
「うん!ハッピーだったから!!お腹の赤ちゃんも喜んでるよ!きっと!!」
「だな。」
新しい命が宿り、きっとまたこの家は賑やかさを取り戻すだろう。
「だったら・・・ギル、明日、見送りはいいわ。」
「なんでだよ。」
「うん・・・ロッタの傍にいてあげて欲しいし・・・見送られたら・・・なんか寂しくなっちゃうから・・・。」
「橘花・・・。」
「けど、お前・・・。」
「ううん。ホントに・・・ワタシは・・・一人で大丈夫。」
見送られると、本当に寂しくなる。
ダニエルや宗太は、明日は仕事だし、身重のロッタを置いて、ギルに送ってもらうことなど出来ないと思った。
それに・・・最初から、一人で旅立つつもりだった。
一人でこの街に来て、一人でこの家に暮らし始め、そしてまた、一人で出て行く・・・。
けれど、それは悲しいことでもなんでもない。
みんなとここで知り合えた。
そして、左京に愛された。
これきり会えないというわけではない。
また会う日までのちょっとしたインターバルだ。
だから、見送りなど必要ない。
そして翌日、橘花も、妙に懐かしさを感じる、クレメンタイン・ハウスを後にした。
再び、会う日を約して。
『またね。ツイン・ブルック・・・。』
『きっとまた、来るわ。』
『だってこの街には、たくさんの思い出を貰ったんだもの。』
『だから、さよならなんて言わない。』
『ワタシの大事な、もう一つの故郷なんだもん。』
「・・・。」
「・・・行かなきゃ・・・。」
「行かなきゃダメだ。このまま別れるなんて・・・出来ない。」
「それに・・・まだお父さんとの約束・・・果たしてない・・・。」
「・・・。」
「あいつ・・・。」
「見送りはいらないなんて言ったけど・・・。」
「そんなわけいくか!」
「はぁっ・・・はぁっ・・・。」
「はぁっ・・・。」
「はぁ・・・あ?」
「・・・なにやってんだ?宗太・・・こんなとこで・・・。」
「ダニエルさんこそ・・・。」
「お前・・・仕事は?」
「早退した。そっちは?」
「俺は院長だから自由なの!」
橘花に、見送りはいらない、と言われ、昨夜のうちに別れを告げていたのに、二人とも、飛行機の出発時間が近付くにつれ、仕事が手につかなくなっていた。
思わず職場を抜け、二人共にタクシーに乗り込み、それぞれ、空港にやってきた。
「見送りいらないなんて・・・橘花のヤツ、水臭いよな!」
「うん。・・・ボク、橘花さんに言わなきゃいけないことあるのに、なかなか言い出せなくって・・・。最後のチャンスなんだ。」
「お前・・・またコクる気か?」
「違うよ!!そんなことより、早く橘花さん探さないと!!」
出発時刻近くになれば、橘花は搭乗ゲートをくぐってしまう。
そうなれば、チケットを持たない自分たちは、中に入れないのだ。
「よし!探すぞ!」
「うん!」
「まだ・・・ちょっと早いかな・・・。」
ロビーでぼぉっとしていたが、さっきから搭乗案内のアナウンスはずっと聞こえている。
ここで待っても、搭乗ロビーで待っても同じことだ。
「行こう・・・かな。」
左京に電話してみようかと思ったが、やめた。
きっと今頃は、リハーサルの最中だろう。
全国ツアー初日なのだから、今はそのことだけを考えて欲しかった。
「上で・・・本でも読むか・・・。」
そう思って立ち上がった橘花の耳に、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「橘花さん!!」
「そ・・・宗太くん・・・ダニエルも・・・。」
一瞬、なぜ二人がここにいるのか、理解に苦しんだ。
自分は、見送りはいらない、と言った筈なのに・・・。
「橘花ー。お前、水臭いぜ!!」
「え・・・?」
「見送りいらないなんて、そんな寂しいこと言うなよ!!」
「え・・・だって・・・。二人とも・・・仕事は・・・?」
「そんなのお前が心配することじゃないの!!」
「二人で・・・一緒に来たの?」
「いや~偶然。」
偶然・・・二人とも同じ想いで、仕事を途中で放り出してまで、自分に会いにここに来た。
それを思うと、胸が締め付けられた。
自分は・・・思いを寄せてくれた二人に、何もしてあげられなかった。
なのに、こうやって二人で見送りにきてくれるなんて、思わなかったのだ。
「橘花さん・・・ボク・・・。」
「宗太くん・・・。」
「宗太くん・・・ゴメンね。ワタシ・・・ちゃんと謝ってなかった。」
「・・・え?」
「宗太くんの告白に・・・応えてあげられなくて・・・ゴメン・・・。」
「橘花さん・・・違うよ。謝るのはボクの方だ。あの時ボク・・・ギルさんが止めてくれなかったら、とんでもない間違いを犯すとこだった。お父さんにも・・・もう二度と顔向けできなくなる・・・。」
「いいの!もういいのよ。だって・・・宗太くんはワタシのこと、好きになってくれたんだもん。ワタシがちゃんと左京のこと言わなかったから・・・。」
「お前・・・俺だってお前のこと・・・初めて会った時から好きだったんだぜ?」
「うん・・・。ありがとう・・・。」
「もう・・・行かなくちゃ。」
「搭乗口まで見送るよ!なっ!宗太!」
「もちろん!!」
「ありがとう・・・。」
「バッカ!友達として・・・当たり前だろ!!」
「・・・ありがとう。」
宗太が、あの時のことをきちんと謝ろうとしてくれた。
友達として・・・ダニエルがそう言ってくれた。
左京に愛されて、自分がその想いに応えてから、二人とはなんとなく距離を置いていた。
二人の気持ちに応えられない自分の心が、そうさせていた。
なのに、二人でこうやって見送ってくれる。
それが・・・嬉しい。
「ここで・・・いいわ。」
「うん・・・。橘花さん、気をつけてね。」
「うん。」
「橘花・・・元気で。また会おうな。」
「うん。」
ほんの短い受け答えだけだったが、三人にはそれで十分だった。
そして、橘花は二人に背を向け、搭乗ゲートに向かった。
けれど、橘花は、途中でその足を止めた。
そして振り返った。
「ダニエル!宗太くん!」
「二人とも・・・。」
「左京に負けないくらいいいオトコになってね!!
「楽しみにしてるから!!」
そう言って再び歩き出し、
橘花の姿が搭乗ゲートに吸い込まれていく。
ダニエルも宗太も、その姿が見えなくなるまで、見えなくなってもずっと、橘花の残像を見つめていた。
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