- ヒドゥン・スプリングス -
これは、この美しい不思議な空気に満ちた街と、ある一人の少年の物語。
この街の中心地にあるアルパイン・コミュニティ・ハイスクール。
ここに、少年は通っていた。
彼の名は、佐土原左京。
まだあどけなさの残る少年である。
左京はつい最近、ブリッジポートの寄宿制の学校から、この街の高校に転校してきたばかりだった。
両親は仕事の都合か、住居を転々としていて、だからこそ左京は、寄宿舎のある学校に、幼い頃から入れられていたのだが、集団生活に馴染めずに、両親のいるこの街へとやってきたのだった。
彼の日常は、
淡々と過ぎていく。
「相変わらずがらんとしてんな。」
「よっと・・・。」
図書館に寄って宿題を終わらせて、
「んー・・・。」
家のほど近くにある公園に寄り道をして、
「今日はなんにしよっかなぁ・・・。」
買い食いすることも、
「ホットドックかな。やっぱ。」
「んー・・・。」
「ちぇ。あんま美味しくないや。」
「胃にもたれるっつーの。」
時間を忘れて釣りに興じることも、
「へへっ。」
「今日は調子いいなぁ。」
「よっ。」
「んあーっ。ずいぶん釣ったなぁ。今、何時だろ?」
「そろそろ帰っかな。」
淡々とした彼の日常の一部。
彼の父親の名は、佐土原以蔵。
この街で警察官を勤めている。
階級、などというものは、左京にはよく分からないが、警部だか警部補だか、日夜、犯罪を追って走り回っている。
母親の名は、佐土原ヒイナ。
桜庭ヒイナ、という芸名で、女優をやっている。
桜庭、というのは彼女の旧姓で、結婚してもそのまま、名前を変えていないだけだ。
両親は仕事に追われていて、家にはほとんどいない。
だから・・・
日が落ちて家路に着いたとしても、両親がいない、冷え切って真っ暗な家が左京を待っているだけだった。
「ただい・・・ま、なんて言う必要、ないっか。」
どうせ誰もいない。
だからといって、寂しいという感覚は、左京にはない。
集団でいることよりも、一人でいることを左京は好んでいる。
両親とも、小さい頃からあまり一緒にいた記憶がないため、何を話していいのか困ることもある。
けれど、雑多とした寄宿舎の生活よりは、数倍マシだ。
「・・・風呂入ろ。」
がらんとした広い家の奥。
そこに左京の自室があった。
「ただいま。」
ここが左京の城。
この部屋に入ったときだけは、心底ホッとする。
自分のお気に入りのものを並べ、この部屋で過ごす時間が楽しい。
欲しいものはすべて両親に言えば手に入った。
親は、それを愛情表現の一つ、と思っているのかもしれない。
けれど、ここに閉じこもっているばかりでなく、外に出掛けていくのも左京は好きだった。
ブリッジポートの街も、意味もなくよく徘徊したが、この街は空気が澄んでいて気持ちがいいし、高いビルがないため、真っ青な空が見渡せた。
「シャワーだけにしよっかなー・・・いや、やっぱ湯船に浸かりたいなぁ。」
両親とは、あまり顔も合わせないし、積極的にこちらから話しかけるわけでもない。
だからといって、左京は、両親を嫌ったり、疎ましく思ったりしているわけではない。
父親はやり手の警察官らしいし、母親も、主演を張るような大女優ではないが、実力派、演技派、などと言われ、出演のオファーが引きも切らない女優なのである。
ただ単に、仕事が忙しすぎて、家庭を顧みるヒマもないのだ、と理解している。
そんな両親との接し方が、左京には分からないだけなのだ。
ただ・・・やっと両親と暮らせる理由が出来たのだから、もっと父親とも母親とも話をしたい、とは思っている。
「あー・・・気持ちいい・・・。」
「なぁ、アヒル。ちょっとこっち来いよ。」
「お前、家族は?やっぱ家族は一緒にいた方がいいって思う?」
そんな多忙な両親を利用した、というわけではない。
「うわぉっ!」
だが、寄宿舎生活から抜け出したいが為に、学校で問題を起こした。
なに。
たいしたことではない。
寄宿生でありながら、授業をさぼり、門限を破り、それを繰り返していただけだ。
「お前、大人?独立してんの?」
そうすることが、親元に帰される要因になる、と知っていてやったことだ。
「ん?そんなことないっか。」
けれどもそうしなければ、左京は耐えられなかった。
「俺に飼われてるんだもんな。お前。」
自分が人と、少し違う、いわゆる『オタク』と呼ばれる部類の人間であることを、左京は重々承知しているのだ。
「ああ・・・。」
自分の姿を鏡に映してみる時、いつも思うことがある。
「イヤだな・・・。」
「ヒゲなんかたいして伸びないのに・・・な。」
父親の遺伝なのか、体毛が濃く、それを見るたびに憂鬱になる。
「剃ったってどうせまた生えてくるし・・・。」
寄宿舎のような集団生活の場では、人となにか違うことは、それだけで爪弾きの原因になる。
ここがそうでないとは限らない。
だが、目立つことなくひっそりと過ごせば、何事もなく時間は流れていく。
「寝よっと。」
左京にとって、標的にされるよりは、空気のように、気づけばそこにいる、そんな存在感の薄い人間でいることこそがこの世をうまく生きていくコツだった。
「おやすみ。」
何事もなく、人との係わり合いを極力持たず、平凡で退屈な一日が終わっていく。
でも、これでいい。
こうして生きていくのが、自分にとって、最良の生き方だ、と左京は信じていた。
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