それから千尋は、橘花の姿を見るたびに、声をかけてきた。
「千尋先輩って、ピアノも弾けるんだー。」
「まぁね。俺、親が音楽家でさ。」
「小さい頃から、ピアノとかバイオリンとか習わされてたんだよ。」
「へー。うまいけど・・・それ、なんて曲?」
「サティのジムノペディ。」
「なんかさー・・・寂しい曲だね・・・。」
確かにうまい。けれど寂しいメロディーで、聞いているとなんだか切なくなってくる。
「そう?この曲、好きなんだけどなぁ。」
「もっと明るい曲、ないの?」
「あるけど・・・。」
「はっは!貴様はやっぱりバカだなぁ!千尋!」
「あ。カイト先輩。」
「女の子を誘って聴かせる曲じゃないだろう!」
カイトが笑いながら音楽室に入ってきた。
「こいつ、人を退屈させる天才でな!」
「退屈?」
「楽しくないだろ?こいつといても。」
「まだよく分かんないけど・・・。でも、もっと楽しい曲が聞きたいなぁ。」
「だろう?」
「空気の読めないヤツでなぁ。だから、いくら女の子に声かけても、振られまくりさ!」
「千尋先輩、まぁまぁカッコいいのに?」
「ま、見た目はそこそこなんだがなぁ。君がなんでコイツと付き合う気になったのか、分からんよ。」
「別に付き合ってるわけじゃないよ!千尋先輩が自分のこと知って欲しいって言うから、その途中なの!」
「それでもだよ!」
千尋に声をかけられて、こうやって音楽室で話をしたりしていると、必ず後からカイトがやってくる。
だから橘花は、カイトとも自然、親しくなっていた。
「おいおい、カイト~。余計なこと言うなよ~。橘花ちゃんが警戒しちゃうだろ?」
「ああ。この子、なんだか話しやすくて・・・。けど、ホントのことじゃないか。」
「カイトのヤツ、遠慮なくってさぁ。」
「仲いいんだね。」
「子供の頃から側にいるしね。俺、両親が演奏旅行で家空けることが多くって。だから、カイトんちで暮らしてるんだ。だからお互い、裏も表も知り尽くしてるわけ。」
「へぇ。」
「カイトんちの親父さんと、ウチの母さんが兄妹でさ。・・・ま、それだけの事情じゃないけどね。」
「俺はコイツの退屈さには慣れてるから平気なんだが、コイツ、懲りもせず女の子に声かけては振られまくり、ってわけだ。」
「え~・・・モテそうなのになぁ。顔がよかったら、ちょっとぐらい退屈でも、我慢できるんじゃない?」
「橘花ちゃん、そう思うんだったら俺と付き合ってよー。」
「それはイヤー。」
「なんで?好きな人でもいんの?」
「ううん。そんなんじゃないよ。」
「ちょっとだけでもいいんだけどなぁ。君の事、プロデュースしたいなぁ。」
「これだ!これも女の子からウザがられる原因でな!」
「う・・・そうかな。」
「そういえば、光り輝きたくないか?とか言ってたね。」
「そう!コイツ、女の子を自分好みに仕立て上げるのが好きなんだ!髪はこうしろ、服はこうしろってうるさくってな!」
「でも、今まで俺の理想通りになった子なんていないよ。」
「橘花ちゃんなら、俺の理想通りになりそうな気がするんだよね~。ねっ。プロデュースさせてよ!」
「・・・オジサンみたいな趣味だね。」
「はははっ!言えてるな!とんだ親父趣味だ!!」
千尋の趣味はともかく、この街にきてまだまもない橘花にとって、こうやって同年代の人と話が出来るのが嬉しかった。
まだクラスには馴染めず、左京からは、学校ではつきまとうな、と言われている。
橘花がよそ者だからといって、なんの偏見も持たず、こうやって声をかけてくれる千尋やカイトと一緒にいられるのは、千尋の思惑はどうあれ、自分が高校生だ、ということを実感させてくれる貴重な体験だった。
「・・・。」
「・・・アイツ、転校生のクセに・・・。」
だから単純な、たったそれだけのことが、誰かの気に障ることになっているなど、橘花は知らなかった。
「・・・許せない・・・。」
「ねー、左京くん、家、帰んないの?」
「帰ったって誰もいないし。お前、一人で帰れ。ついてくんなよ。」
「えー。だって左京くんに勉強教えてもらおうと思ってたんだもん。学校じゃないから、つきまとってもいいでしょ?」
「気が散るから話しかけるな。」
「ん~・・・ハイスクールの授業って、思ったよりもハイレベルなんだもん。難し過ぎ。・・・ここは?」
「解き方だけ教えてやるよ。」
「解き方だけなの~?」
「最初っから答えの分かってるパズルなんて面白くないだろ?自分で答え出さなきゃ、覚えないし。」
「そっかぁ。」
「ん~・・・。」
「ん~・・・。」
「ここはこの公式だよ。」
「これ?うんうん・・・。」
「あ。間違った。」
「ふっ。」
「ふっ。」
「お前、消しゴムカス、こっちに飛ばすなよ。」
「そっちこそ!」
「よし・・・っと。」
「もう終わっちゃったの?」
「お前が話しかけるから、これでもいつもより時間、かかってんだぜ?あと何問だ?」
「5問・・・。」
「じゃ、本でも読んでるか。」
「教えてよー。」
「解き方、教えたろ?」
「んもー。」
学校を離れると、左京はもう、『つきまとうな』とは言わない。
帰りのスクールバスには乗らず、一目散にこの図書館に向かった左京に、橘花はついてきたのだが、図書館の二階は人がおらず、静かで、集中して勉強できる場所だった。
「えーっと・・・。」
左京が、人の多いところが苦手なのだな、というのがなんとなく分かってきた。
「・・・ねー、この図書館、『バンダーバーグ図書館』っていうの?」
「そうだよ。バンダーバーグ家ってのは、この街の有力者だよ。湖畔にでっかい屋敷があるんだけど、夫婦で政治家やってるんだ。金持ちでさ。」
「カイト先輩のお父さんとお母さんかなぁ。」
「カイト・バンダーバーグ?知ってんの?」
「ちょっとね。」
「よし!とりあえず出来た!」
「・・・お前・・・あんま上級生と仲良くするのやめろよ。」
「え?なんで?」
「ただでさえ転校生なんて目つけられやすいのに、目立つことすんな、って言ってんの。」
「だって、向こうから声かけてきたんだもん。」
「ワタシのこと、可愛いって!」
「お前が?どこが?」
「知らない。そう言うんだもん。カイト先輩じゃないけど。カイト先輩の連れの千尋先輩。」
「どっちだって一緒だ。」
「・・・帰らないの?」
「まだ読みかけー。」
「じゃ、ワタシも読むー。」
「キリのいいとこまで読み終わったら帰ろ。」
「うん。」
自分が宿題を終えるのを、左京は待っていてくれたのだろうか、と橘花は思った。
マイペースで、自分には無関心なように見えて、もしかすると左京は気を遣ってくれているのかもしれない。
日が落ちる前に二人で家路に着いたが、家に帰っても確かに誰もいない。
「左京くん。おじさんもおばさんもいっつも遅いの?」
「遅いよ。」
そう言ったときの左京の顔が、とてつもなく寂しそうで、橘花はなんだか胸が痛かった。
「ね!ゲームでもしよ?教えて?」
「やったことないの?」
「ない!」
左京にしてみれば、家に誰もいないのはいつものことで、寂しいなんて感覚はないのだが、知らず知らずのうちに顔に出てしまっていたのだろう。
「それよりお前さぁ。さっきの話!」
「なに?」
「カイト先輩だか、なんとか先輩だかが声かけてきたって話だよ。」
「うん?妬ける?」
「誰が妬くんだよ。そうじゃないよ。」
「マジで気をつけろって言ってんの!あの学校、タチ悪いのもいるからっ!」
「うん。分かってる。」
「分かってないよ!転校生って理由だけで、人イジメたりする奴等もいるんだから!」
「左京くんも苛められたりしたの?」
「え・・・?いや・・・。」
「あ!そっか!そうじゃなきゃ、そんなこと言わないよね?苛められたの?殴られたり?」
「い・・・いや・・・殴られ・・・もしたけど、金奪られたり・・・。」
「えっ!?お金、奪られたの!?それって、犯罪じゃない!!」
「・・・そう・・・なんだけど・・・。」
「先生とかに言わないの?」
「言ったって無駄だよ・・・。あいつら、言い逃れがうまいし・・・。」
「いくら奪られたの?」
「え・・・いくらって・・・。」
「小銭じゃないでしょ?いくらぐらい?」
「あの時・・・自転車買おうと思ってたから、結構持ってたけど・・・。」
「いいんだよ。そんなことどうでも。」
「よくないよ!」
「いいんだよ。それより・・・。」
「あっ!分かった!!」
「なにが?」
「左京くんが、学校でつきまとうな、って言う理由。」
「は?」
「左京くんと一緒にいたら、ワタシまでイジメられるから・・・でしょ?」
「は?なに言ってんの?お前・・・。」
「優しいんだ!やっぱり!!」
「そんなんじゃないよ!もう知るか!!」
「・・・ったく。知らないぞ、俺は・・・。」
橘花のことが心配だったのは事実だ。
転校したてだし、まだ制服も着ていない彼女が、他の生徒たちの間で浮いているのは間違いない。
「人の気も知らないで・・・。」
だが、断じて優しさではない、と左京は思っている。
「なに考えてんだ。アイツ・・・。」
学校では自分につきまとうな、と言ったのも、佐土原家に引き取られた彼女の境遇が、からかいのネタになりはしないか、と危ぶんだからだ。
「一回、痛い目に遭えばいいんだ・・・。」
彼女を、自分と同じ目には遭わせたくなくて忠告しているのに、余計なことまで喋らされてしまった。
「俺は・・・優しくなんかないよ・・・。」
ただ臆病なだけだ。
もし、橘花が自分のようにイジメにあったとしても、助ける自信がない。
そうなったとき・・・橘花が自分を見る目も変わってしまうのではないだろうか、とそれが不安だった。
「ショウコ!ねぇ、ショウコ!」
「なに?アイカ。あんたが声かけてくるなんて珍しー。」
「ちょっと協力して欲しいの!」
「なに?悪事?」
「そ!得意でしょ?」
「ヤなこと言うね~。アンタ。」
「自分で言ったくせに。」
この二人、普段から仲良くしているわけではない。
アイカは、そこそこ裕福な家庭の娘で、普段はツンと澄ましているし、ショウコは、ジェイクたちとつるんで、悪さに加担することが多い。
だからお互い、普段は話すらしないのだ。
「あのさ・・・あの転校生・・・やっつけたいんだよ。」
「転校生?なんでまた。」
「アイツ・・・転校生のクセに、カイト先輩と親しく話、しやがってさぁ・・・。」
「ああ。アンタ、カイト先輩のこと好きだもんね~。」
アイカは、カイトに憧れていて、しかし、なかなか声をかけられず、いつも音楽室でギターを弾いたり、千尋と仲良さそうに話している姿をじっと見つめていることしか出来なかったのだ。
なのに、転校したてで、どこのウマの骨とも分からない橘花が、カイトと親しげにしているのが許せなかった。
「でも~・・・どうすんの?」
「アイツ、薄汚れてて汚いからさー・・・水ぶっかけてやるとか・・・。ね、報酬は弾むよ。」
「報酬かぁ!やるやる!!・・・でも水かけるくらいじゃ、インパクト弱いんじゃね?」
「なになに?何の話?報酬って?」
「あ!智くんも手伝ってよ!」
「え?」
金の話か、と三人組の一人である智が近寄ってきた。
「転校生、やっつけたいんだよ!」
「え?転校生?」
「どうせならさぁ、水じゃなくってペンキとかどう?」
「ペンキ?」
「きゃははっ!それいいっ!さっすがショウコ!!」
「でしょ~?」
「・・・女は怖いねぇ・・・。」
「なに言ってんのよ。アンタたちだっていっつもやってんでしょ。手伝いなさいよ。智。」
「え?俺?」
「分け前、ちゃんと渡すから!」
三人組は、普段女の子にはあまり手を出さない。
それというのも、女のほうが教師や親に訴えられる確率が高いからだ。
けれども、話を聞いてしまったからには加担するしかない。
ペンキをかけるくらいのイタズラならよくやるし、仕掛けを作るのにも慣れているのだ。
「ちょっと早くしてよ~。」
「まぁ、待てって。こういうのは仕込が肝心だろ?ドア開けた途端に弾けるようにだな・・・。」
「戻ってきちゃうじゃない!早く!」
「わーかってるってば!!もうちょっと!!」
「あっ!」
「来たよ!」
「よしっ!こんなもんでいいだろ。」
「ひひっ!どんな顔するか、楽しみ~っ!」
「転校生のクセに・・・痛い目に遭わせてやるわ!!」
橘花はそんな企みが行われているなど知らずに、教室の扉を開けた。
「・・・ん?」
その途端、頭上で何かが弾けるような音を聞いた。
「え?」
頭から水を浴びせられたような感覚がして、シンナーのような匂いがした。
足元には、ペンキが入ったバケツが転がっている。
「ふん!いい気味!!」
「なんか・・・冷たい・・・。」
「・・・あー・・・。」
頭から、ぽたぽたと青い塗料が滴り落ちるのを見て、ペンキを被ったことに気がついた。
「どういうこと?」
「お似合いよっ!」
名前も知らないクラスメイトが、ニヤニヤしながら近付いてくる。
「アンタ、転校生のクセに、生意気なのよ!!」
「え?ワタシ、なんかした?」
そして、いきなりどなりつけられた。
「カイト先輩と馴れ馴れしく話してんじゃないわよっ!」
「え?カイト先輩?だって、声かけてきたのは向こうだよ?それに、ワタシは千尋先輩と話してるんで、カイト先輩はオマケだもん。」
「どっちだって一緒よ!!それに・・・オマケってなによ!!オマケって!!」
「だって、千尋先輩といっつも一緒にいるんだもん。ついでに話してるだけで・・・。」
別に、同い年の女の子にどなられることなど、なんということはない。
だが、その理由が理不尽だなぁ、と思うだけだ。
「転校してきたばっかりのクセに、上級生と親しくするなんて、ありえないっ!!」
「え・・・転校生は、上級生と仲良くしちゃいけないって校則でもあるの?」
「そんなもん、あるわけないでしょっ!!」
「うわ!コワイ顔~。」
「コワイってなによっ!!」
どうして彼女は、こんなにも自分に食ってかかるのだろう、と考えた。
自分が親しくしているのは千尋で、本当にカイトはオマケのようなものなのだが・・・。
「あ~・・・分かったぁ~。あなた、カイト先輩のこと、好きなんだぁ~。」
「そっ・・・それがどうしたのよっ!」
どうやらそれが理由のようだ。
でなければ、上級生と話をしてはいけない、などという法があるはずもない。
「でも、そーんなコワイ顔してちゃ、カイト先輩に嫌われちゃうよ?」
「え・・・。」
彼女が自分に食ってかかる原因が分かって、橘花は納得した。
彼女も、カイトと親しく話をしたいのだ。
だがそれが出来ず、橘花に対して八つ当たりをしているのだ、と分かると、ちょっと気の毒な気さえしたのだ。
「今度、カイト先輩に、どんな子が理想のタイプか聞いとくねっ。たぶん・・・コワイ顔の子はイヤだと思うけどなぁ。」
「な・・・。」
頭からペンキを浴びせられても、橘花は動じず、怒りもしなければ、泣きもしない。
逆にそんな風に言われて、アイカも、そしてショウコも毒気を抜かれてしまった。
「アイツ・・・。」
「・・・なんで平然としてんだ・・・?」
左京は、一部始終を見ていたわけではない。
だが、橘花がペンキをかけられても平気な顔をして、同級生を煙に巻くのを見て、なぜだろう、と思っていた。
「じゃあね!」
「・・・え?」
「ちょ・・・どこ行くのよ!?」
「帰る。このまんまじゃペンキ臭くって、授業なんか受けられないもん。」
「え・・・。」
「あんたたち、ワタシが帰った理由、先生に言い訳しといてね~。」
橘花はそういい残し、教室を出てしまった。
気の毒ではあったが、人にこんなイジメ紛いのことをしていいはずはない。
ちょっとした懲らしめのつもりだった。
「え・・・ちょっと・・・。」
「ど・・・どうしよう・・・。」
飄々とした橘花の態度に圧倒されて、イタズラをしかけた二人のほうが、途方に暮れていた。
「ちょ・・・アイツ・・・ホントに帰る気かよ?」
思わず、左京は橘花の後を追っていた。
「ま・・・あれじゃ、授業は受けらんないけど・・・。」
教師に、なぜペンキなど浴びせられたのか、と問われれば面倒なことになる。
だから橘花は、自分が姿を消し、教師への言い訳をあの二人に押し付けたのだ。
「あ!いた!」
「おい!」
エントランスで橘花を見つけ、左京は駆け寄って行った。
「あ。左京くん。」
「お前、ホントに帰る気かよ?」
「うん。だってペンキ臭いんだもん。シャワーで落ちるかなぁ。」
「あいつら・・・ヒドイことするな・・・。」
「左京くんの忠告聞かなかったから、バチが当たっちゃったかな?」
「だから言っただろ!?転校生は風当たりが強いんだって!」
「うん。その通りだった。」
「あ!そうだ。左京くん、宿題、預かってきてね!」
「お前・・・なんで平気な顔してられるんだよ・・・。」
「だって、たいしたことじゃないし!ちょっとした嫉妬でしょ?」
「これがちょっとかよ・・・。」
「平気だってば!心配してくれてありがと。」
「・・・まぁ、お前がそう言うんなら、俺はなんにも言えないわけだけど・・・。」
「あの二人がどんな言い訳するか、聞いといて!」
そう言って、橘花は笑ったのだ。
( ゚▽゚)/コンバンハ
返信削除キッカちゃんかっこいい・・・。
私もこうなれたらなぁ~って思いました。
色々もっと不幸な思いをしてきたからこういう風な対応ができるんですよね、きっと・・。
こういうコトって年齢関係ないですね。
本当にエライというかカッコいいと思います(*´∇`*)
もんぷちさん、こんにちは!!
返信削除お察しの通り、橘花はもっとツライ目に遭ってきたんですよ。
それは今後、彼女の口から語ってもらいます。
いろんな体験をしてきて、彼女は精神的にすごく強いんです。
だから、左京に与える影響も大きいんですよ~。
単に、世間を知らないだけ、っていうのもあるかもしれませんが(^_^;)ゝ
ああ・・・ワタシもこんな風に強くなりたい!
理想の女の子ですね♪