「・・・ん・・・。」
その晩、夢を見たような気がした。
発熱で苦しんでいる左京の隣に誰かいて、ずっと抱き締められているような気がした。
それが夢なのか現実なのか区別がつかず、ぐっすり眠ったのかどうかさえ定かではない。
けれど、明るくなって目が覚めて、やっぱり夢だったのだ、と思った。
「あー・・・朝・・・。」
「左京くん、おはよ。」
目が覚めると、ベッドの横に橘花がいた。
「ね、具合、どう?」
「ん~・・・なんかふらふらする・・・。」
「まだ熱、下がってないんだね。病院、行く?」
「え・・・いや、病院行くほどじゃないよ。」
「注射とかした方が早く治るんじゃない?一緒に行ってあげようか?」
「やだよ!注射なんて!」
「注射嫌いなの?」
「嫌いとかじゃなくって・・・それよりお前、ずっとここにいた?」
「ん?さっき起きた。」
「・・・ここで寝てた?」
「まさか!ちゃんと自分の部屋で寝てたよ!」
「(・・・やっぱ夢か・・・。)」
「ね、やっぱり注射した方がいいんじゃない?」
「いいって。平気だよ。」
「やっぱ嫌いなんじゃん。」
「じゃ、お前、注射好きなのかよ。」
「う・・・嫌いだけど・・・。」
「だろ?大丈夫だって。遊び行きたかったけど、家でじっとしとくから。」
「じゃ、ワタシも付き合う。・・・けどー・・・病院行ったほうが、確実に治ると思うんだけどなぁ。」
「注射なんてさ、人間が発明した三大凶器の一つだって!あ~・・・なんか腹減ったな。」
「熱あるのに?」
「腹減るってことは、たいしたことないってことだよ。」
市販の薬を飲んで寝たが、まだ熱が下がりきっていないのは自分でも分かる。
けれど、喉の痛みもなく、食欲もある。
風邪の引き始めだろう、と思っていた。
「そんなの食べて、大丈夫?」
「これしかないんだもん。作る気力はないなー。」
「ね。あと二つってなに?」
「なにが?」
「三大凶器。」
「ああ。車とインターネット。」
「インターネット、やってるじゃん!」
「お前、考えてみろよ。パソコン1台あって、ネットに繋ぐだけで、どんな情報でも手に入るんだぜ?使い方によっては恐ろしい凶器になるんだよ!」
「なるほどねー。車はなんとなく分かるけど・・・。車、嫌いなの?」
「乗せてもらうのは好きだけど、自分で運転するとなるとなぁ。」
「免許、欲しくないの?」
「免許取るなら、成人して、自分で責任取れるようになってからだなー。それより、自転車欲しいんだよな。」
「あ!ワタシも自転車欲しい!おじさんとおばさんにねだればいいのに~。」
「こないだ一度、欲しいって言ってみたんだよ。けど、母さん、忙しそうでさ・・・。だから自分で買いに行こうと思ってたんだけど、あいつ等に金奪られちゃったし・・・。」
「あ、そっかぁ・・・。」
「また小遣い溜めなきゃ。自転車あったら、遠くまで行けるのに。街の端の湖とか、絶対釣れそうなのに・・・。」
「街の端かぁ。歩いていくのはちょっとキツイもんねー。」
「うん。」
二人でダイニングで話していると、以蔵が起き出してきた。
「お。左京。起きても大丈夫なのか?」
「あ・・・。」
今日は仕事は非番なのだろう。
「うん。一晩寝たら、だいぶ下がったみたい。」
「そうか?風邪か?こじらすと後が大変だぞ?」
「病院に行った方がいいんじゃないのか?」
「ううん。平気だよ。・・・ごちそうさま。」
「左京くんねー、注射されるのがイヤなんだって!」
「お前・・・余計なこと言うんじゃないよ。」
左京はまだ、以蔵と話をするのは苦手だった。
だからこうやって、すぐに自分の部屋にこもってしまう。
橘花とは、なんの抵抗もなく、なんでも話せるのに、どうして実の親である以蔵やヒイナだと、こうも緊張するのだろうか。
「変なの・・・。」
だから、橘花が、両親となんの遠慮もなく親しげにしているのを見て、軽く嫉妬さえ覚える。
自分には出来ないことを、橘花はいとも簡単にやってのける。
「俺・・・そもそも人付き合いが苦手だしな・・・。」
けれど左京には、どうしてもマネできない、と思うのだ。
自分の性格が、一朝一夕で変わるとも思えないのだった。
「橘花ちゃん。」
「はい?」
「左京のヤツ・・・本当に大丈夫なのか?」
「起きたときはふらふらするって言ってたけど、ちゃんとご飯食べてたし、大丈夫みたい!」
「そうか・・・ならいいんだが・・・。あんまり顔色、よくなかったみたいだし・・・。」
「そういうの、左京くんに直接言えばいいのに!」
「あいつ・・・すぐどっか行っちゃうからなぁ・・・。」
橘花の言うとおりだと思う。
もっと左京のことを気にかけて、言いたい事を言えれば・・・と以蔵も思うのだ。
「君も・・・学校でなんかあったんだろ?大丈夫か?」
「おばさんに聞いたの?」
「ああ・・・。」
「ワタシは平気!おかげでいっぱい服、買って貰っちゃったし!」
「本当に?」
「ちょっとしたイタズラだよ!やっかんでんじゃないかな?ワタシがこんないい家に貰われたから!」
「普通の家だよ?」
「そうかなぁ。」
「そうだよ!なにか不自由してることはないかい?足りないものは?」
「足りないモノなんかないけど・・・。」
「遠慮することないぞ?なんでも言ってごらん?」
「んーっと・・・。」
「あ。以蔵、ここにいたの。橘花ちゃんも。」
「ああ。今、起きたのか?」
「そうなの。昨夜も遅くまで撮影で・・・。」
「今、橘花ちゃんになんか足りないモノはないかって聞いてたんだよ。」
「ああ。なにか欲しいモノ、ある?パソコン?テレビ?」
「んーん。」
「あのね・・・。」
「なぁに?」
「自転車!」
「自転車?」
「あっ!そうだ!左京も自転車欲しいって言ってたんだった!忘れてたわ~。」
「やだ!買ってあげなくっちゃ!」
「自転車なんか欲しいって言ってたのか?左京。」
「そうなの!なのにワタシったら、忘れてるなんて・・・。どうしよう。」
「そう言えば、左京くんも欲しいって言ってた!左京くんとお揃いのヤツがいいな!」
「よし!すぐ買ってあげるわ!いいでしょ?以蔵。」
「自転車でいいのか?スクーターとか車とかじゃなくって。」
「いいの!嬉しい!!左京くんも喜ぶよ!きっと!!」
「左京くんに教えてあげなくっちゃ!あ!それとも、黙っててビックリさせたほうがいいかな?」
「ホントは一緒に買いに行ってあげたいけど、ちょっと忙しくって・・・ゴメンなさいね。」
「おばさん、今、なんのロケやってるの?ドラマ?」
「映画なのよ。春に公開の。」
「わぁ!じゃ、観に行かなくっちゃ!左京くんと一緒に行こうっと。」
「おじさん、おばさん、ありがとう!」
「いいのよ。」
「左京くん、なにしてんのかな~?今日はずっと家にいるって言ってたけど・・・。」
「・・・あの子はまた、左京くん、左京くんって・・・ずいぶん懐いたもんだな。」
「ふふっ。可愛い。」
「ま、引き取って正解だったかな。」
「左京、熱出したって聞いたけど、以蔵、あの子の顔、見た?」
「さっき、メシ食ってたよ。」
「風邪かしら・・・。大丈夫かな。」
「病院行かなくても平気だ、なんて言ってたけどなぁ。ちょっと顔色、悪いみたいだったな。」
「ワタシ、最近忙しくて、全然あの子の顔、見てないわ・・・。」
「うん・・・。まぁ、あんまり部屋から出てこないしなぁ・・・。」
「ねぇ・・・橘花ちゃんがね、頭からペンキ被って帰ってきたとき、『転校生の洗礼』とか言ってたんだけど・・・。」
「ああ。そんなことされても、ちょっとしたイタズラだ、なんて言って笑ってたぞ?明るくっていい子だな。あの子は。」
「そうじゃなくって・・・左京も、そんな目にあったのかしら、ってことよ!」
「けど、左京はなにも言わないぞ?」
「なにかあって、ワタシたちに言う性格?」
「まぁ・・・そうだな・・・。なに考えてるかさっぱり分からん。」
「ワタシ、もっと左京と話がしたいわ。うんと可愛がってあげたいのよ!」
「気持ちは分かるけど、君・・・今、仕事が・・・。」
「そうなんだけど!」
「・・・ね、以蔵。」
「ん?」
「ワタシも一つ、おねだりしていい?」
「どうしたんだい?」
「今の撮影が終わったら、ちょっとお休みが取れそうなの。」
「ほぉ!そりゃいいな。」
「だから・・・。」
「みんなでどこか行きたいわ!近くでもいいのよ。2、3日、あの子達とのんびり過ごしたい!」
「ん・・・。」
「う~ん・・・家族旅行なんてしたことなかったしなぁ。」
「ね、お願い!以蔵もお休み取って!」
「まぁ・・・取れないことはないだろうけどなぁ。そうだな。どっか行くか!」
「ホント?嬉しい。左京、喜んでくれるかな?」
「どうだろうな。イヤとは言わないと思うけど・・・。」
「みんなで旅行に行けるなんて・・・楽しみだわ!」
二人とも、左京の反応が気になってはいた。
けれど、一緒に住んでいても、仕事だなんだですれ違うことが多い。
思い切って休みを取り、日常を離れなければ、いつまで経っても左京と親子らしい関係を築くことなど出来ないのではないか・・・そんな風に思えた。
両親がそんなことを話し合ってるなど、左京は知らなかった。
「左京くーん。」
「左京くんってば。」
「一人で遊んでるの?」
「外出られないんだし、いいじゃんか。」
「ワタシも付き合うって言ったじゃん!一緒に遊ぼうよー。」
「一緒に?」
「ゲームしよ!やりたい!」
「お前、ゲームやったことないって言ってなかったか?」
「だから教えてってば!」
「まぁ・・・教えるほどのことはないけどなぁ。それ、簡単だし。」
「これ押すの?」
「Aでスタートだよ。あとは十字キーでコントロールして、Bでダッシュ。」
「こう?こう?」
「なんだ!うまいじゃないか。」
両親と仲のいい橘花に、ほんのちょっと嫉妬心を感じた左京だったが、橘花がこうやって自分の側に来てくれると、そんなことは忘れさせてくれる。
「よーし!進路妨害するからな!うまく避けろよ!」
「えっ?えっ?」
「ほら!」
「きゃっ!」
「ね、今度、釣りも教えてよ!街も案内してくれるって言った!」
「釣りだって、教えるほどのことじゃないさ。釣れるポイントに行って・・・ま、餌のつけ方くらいは教えてやるけど。」
「やった!今度の週末、遠出しようよ!・・・あ、熱が下がったらね。」
「熱なんかもう下がってるよ。」
「そうだ。お前・・・父さんに余計なこと言ってないだろうな。」
「余計なことって?」
「その・・・俺が学校でイジメにあってるとか・・・。」
「そんなこと言ってないよ。」
「ならいいけど。」
「でもさ、言っちゃえばいいのに!おじさん、警察官なんだし。うまく学校に言ってくれるんじゃないの?」
「学校に言ってもらったって、なんになるんだよ。モンペだなんだって、うっとうしがられるだけだろ。だったらお前、ペンキ、誰にやられたか、言ったのか?」
「うーん・・・言ってないし、言う気もないけど・・・。」
「だろ?それにさ・・・。」
「剛田が俺にちょっかい出すのって・・・父さんにも原因あるからさ・・・。」
「おじさんが?なんで?」
「あいつの親父、この街じゃ有名な犯罪組織の幹部でさ、そいつらの密輸取引の現場、父さんが押さえたんだ。で、逮捕されて・・・だから難癖つけてくるんだよ。」
「でも!だったら余計、おじさんに言ったほうがいいんじゃ・・・。」
「あーーっ!!」
「ほら!余計なこと言ってっからクラッシュしたろうが!」
「んもー・・・もう一回!」
「いいぜ。何度でも。」
「・・・ま、余計なこと言って、余計な心配かける必要ないだろ?」
「だから一人で我慢するの?」
「そういうことだよ。俺が我慢すりゃ済むことだろ?」
「そうかなぁ・・・。左京くん・・・もっとおじさんとかおばさんと話すればいいのに。」
「お前はさ・・・いいよな。誰とでもすぐ仲良くできるしな・・・。」
「あー。それって、ずーっと他人の家で生活してたからさぁ。生きるための知恵?・・・っていうか。」
「あ・・・そうなのか・・・。」
「人懐っこくしてたら、もしかしたら可愛がって貰えるかもしれないじゃん!」
この家に来て、やっとその努力が実を結んだ。
今までは、どんなに笑顔を見せても、話しかけても、可愛がってもらえたことなどなかったのだ。
「・・・よし。ほら、いくぞ!」
「うん!」
「今度はゴールしてみせるんだから!」
「やってみろよ!」
「うまいうまい!妨害、いくぞー!」
「へへっ!もう邪魔させないんだから!」
週末、ずっと家で過ごしたおかげで、左京の熱は引いた。
月曜の朝にはいつものように、登校出来るほどまでに回復したのだった。
「さーって!今日も戦闘開始だな!」
「お前、制服着るたんび気合入れてたら疲れるぞ?」
「いいじゃない!気合入れて戦わなきゃ!」
「じゃ、左京くんは制服着るたんび、なんて思うの?」
「別に何も思わないさ。・・・ま、しいて言えば、何事も起こりませんように、って願うだけかな。」
何事も起こらず、平穏に過ごせるように・・・いつもそれを願っていた。
だから、誰にも話しかけず、なんの行動も起こさず、一人でいたのに、あの事件がきっかけで目をつけられ、あっという間に平和な日々がぶち壊しになった。
「何事も・・・って、毎日学校来てれば、なんかあるんじゃない?」
「なんかあって欲しくないから願うんじゃないか。」
「柑崎さん!おはよ!」
「あ。おはよ。」
教室に入ると、早速メグが近寄ってきた。
「こないだ、ありがとう。」
「いいのよ!柑崎さん、ちゃんと宿題、やってきた?」
「あ~・・・橘花でいいよぉ。」
「きっか、ね!うん!その方がいいね!」
「宿題はさ、左京くんが手伝ってくれるんだー。」
「へぇ~。佐土原くん、頭いいもんねー。いいなー。」
「よ。佐土原。熱、下がったのか?」
「あ・・・うん。」
「お前、細っこいから、熱出したりすんだろ?もっと身体、鍛えた方がいいぜ?」
「え・・・うん・・・。」
自然と、和希も左京に話しかけてくる。
そんなことに慣れていないので、左京は戸惑ってしまい、最初はなんと返事をしていいのか分からないほどだった。
「・・・ちっ・・・。アイツ、オンナに守られてんのかよ・・・。」
「ジェイクったら~・・・。」
「ねー・・・もうあいつ等のこと気にするのやめなよー。」
「・・・。」
「学校なんかサボってさ!パァーっと遊びに行こうよ!!ねっ!」
「それにさぁ・・・最近、ヤッてないじゃん。遊びに行ってさー、んで、ホテルでも行って・・・。」
「だからそんな金、ねぇっての!そんなに遊びたかったら、てめぇがエンコーして稼いで来いや!!」
「えっ・・・。」
「ひ・・・ひどいよ。ジェイク・・・。まさか・・・マジであの転校生に惚れたわけじゃないんでしょ?」
「誰が惚れるかっての!」
「誰が・・・あんなヤツ・・・。」
「ねーえ、佐土原くん。あたし達にも宿題教えてよー。」
「え・・・自分でやんなきゃ・・・意味ないじゃん。」
「だってぇ。橘花には教えてるんでしょ?」
「ヒントだけだよ。だって、自分で解かなきゃ面白くないだろ?」
「今度さ!二人でまた、佐土原んち行くから、勉強教えてくれよ!」
「ま・・・いいけど・・・。」
「いつにしよっかな?」
「いつでもいいよー。」
左京には、ジェイクの視線が気になってはいた。
自分のことを話題にしているかもしれない。
『・・・けど・・・。』
こうやってクラスメイトに囲まれて、話が出来るなど、ついこの間までは思ってもみなかった。
ずっと、人と関わるのが苦手だった。
だけど・・・
こんなのも、案外悪くはないのではないだろうか。
こうやって、橘花や和希やメグとたわいもない話をしている時間が、なんとなく楽しいと思えたのだ。
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