最初は、グランドピアノの鍵盤の重さを確かめるように、短い曲を1曲。
それから、アレンジを加えたポップな曲をもう1曲。
ケイは生まれて初めて、こんな場所でピアノを弾いた。
いつしかバーの客たちも、ケイとジェイのセッションに耳を傾けていた。
「どうだった?」
「楽しかった!」
ひとしきりピアノを弾いて、ケイは満足だった。
きちんと調律されたグランドピアノはすばらしい音だった。
それだけで、ジェイのことを信用する気にすらなったのだ。
「楽しかった、か。一杯おごるぜ。なんでも頼めよ。」
「いいの?」
「いいぜ。」
「じゃ、ピンク色のカクテル。」
「酒飲めるのか?未成年・・・じゃないよな。」
「お酒、飲んだことないよ。こんな場所来るの初めてだもん。」
「いただきまーす。」
「ケイちゃんさ・・・本気で俺たちのバンド、入らねえ?」
「バンドはしないよ。」
「人気出ると思うけどな。」
「人気出てどうすんの?」
「稼げるだろ?」
そんなこと、考えたこともなかった。
「俺たちはこの街で大人気のバンドになってさ、たくさんのファンに囲まれて、そんで、メジャーデビューするんだ!」
「ふぅーん。」
初めて飲んだカクテルの酔いと、ジェイとセッションした時に感じた興奮は、同質のものだ。
だけどそれらは、一時的なもの。
酔いがさめれば現実が待っている。
ケイはそれを直感的に知っている。
「もう帰る。ごちそうさま。」
「帰るって・・・まだ宵の口だぜ?」
宵の口なんかではない。
時計を見ると、もう日付が変わっていた。
「ジェイさんの宵の口って随分長いね。」
「ジェイでいいよ。」
「じゃあね。ジェイ。おやすみ。」
「待った。待った。俺も帰るから。」
「ああー。眠たー。おねえちゃん、帰ってるかなぁ。」
「なぁ、ケイ。」
「じゃあね!」
ジェイがなにか言いかけたのを振り切って、ケイは駆け出した。
係わり合いになるのは面倒だ、となんとなく思った。
バンドに入ってピアノを弾く?楽団に所属してピアノを弾く?
そうすれば、ジェイの言うとおり、注目されるかもしれない。
けれど・・・そこに自由などありはしない。
好きな時に好きなように弾く。
でないとケイ自身が楽しくない。そんなのはゴメンだ。
「ケイ・・・。俺は諦めねぇぞ。・・・ってか、また連絡先も聞いてねえ・・・。」
まるで、夜空に浮かぶ月に吸い込まれるかのように駆けていくケイの後姿を、ジェイはずっと見送っていた。
一方、勇んで出かけたアイ。
「アイちゃん。今日もキレイだねえ。」
「ありがと。」
「ね。何飲む?」
「軽めのでいいよ。」
「いいの?」
「明日は仕事だし。あんまり遅くなれないでしょ?」
「それもそうだね。」
一応、探りを入れてみたつもりだった。
それでもやっぱり、ディーンはマイペースだった。
「はい。アイちゃん。」
「うん。」
いつものようにバーで待ち合わせて、いつものように二人で飲んで、そして仕事に支障が出ないようにと、日付が変わる前に帰る。
判で押したように、その繰り返し。
「美味しい?」
「まぁまぁかな。」
やっぱり強い酒が欲しくなる。
「まいっちゃうな・・・。」
ディーンはキレイだ、と言ってくれる。
愛してる、とも言ってくれる。
アイが何を言っても、何をやっても、ニコニコと受け入れてくれる。
でもそれは、娘を溺愛している父親の態度のようにも思える。
「なんか・・・分かんなくなってきた・・・。」
父親を随分と早くに亡くした自分が、恋人に父性を求めるのは仕方がないと思う。
けれどもディーンは父親ではない。
自分が家族性を求め過ぎるから、ディーンは一歩引いた位置から、アイを見ているのだろうか。
「ちょっと距離置こう・・・かな・・・。」
そんなことすら考えていた。
そうすれば、ディーンの真意が見えるかもしれないし、自分の気持ちも再確認出来るかもしれない、と思ったのだ。
「あれ、おねえちゃん。帰ってたんだ。」
「うん。さっき。」
ケイはかろうじてアイより先に家にたどり着いていた。
あれこれ詮索されるのもイヤだったので、ホッとしていたところだったのだ。
「(おねえちゃん・・・やっぱ機嫌悪そう・・・。)」
いつもと違ってやけに静かなのがかえって怖い。
「(こんな時はそっとそっとしといたほうがいいんだけど・・・。)」
「あ・・・冷えると思ったら・・・雪だ。」
帰り道の風が、雪の匂いを含んでいたから、そのうち降るだろうとは思っていた。
「降ってるの?」
「今降りだしたトコ。」
「寒いから開けないでよね。あんた、雪が降ったら犬っころみたいにはしゃぎまわるんだから。」
「まだ積もってないよ。」
アイは窓の外を見ようともしない。
雪が降り出したらわくわくして、早く雪の中を駆け回りたいというケイの気持ちは、アイには分からない。
翌朝になれば雪が積もるだろう。
アイもその頃にはベッドに入っている。
早朝起き出して、外に出てみよう、とケイは自分の部屋に戻った。
「・・・ケイに当たるなんて・・・あたし、サイテーだな・・・。」
そんなことくらい分かっている。
「でも・・・雪なんか・・・キライ・・・。」
身も心も凍えてしまう。
頭が妙に冴えて身体の芯から冷えていくようだと思った。
「わー。積もってる。」
明け方、ベッドから這い出て外を見ると、銀世界だった。
「まだ雪ダルマは作れないかな。」
やっぱり一晩では、足が埋まるほど、というわけにはいかないようだ。
「メドウ・グレンとは違うな・・・。」
雪が降ると思い出すのは、おばあちゃんと過ごした幼い日のことばかり。
この街の雪の色と、メドウ・グレンの雪の色とではまるで違う。
それでもケイは、雪が降るとわくわくするし、同時に物悲しくもなるのだった。
「ばぁちゃん・・・。」
もっともっと降り積もって、この眠らない街を埋め尽くしてしまえばいいのに。
明け方だというのに、車の音が止みもせず、ビルの明かりは煌々と街を照らしていた。
~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~
あれ?なんでこんな切ない話に?
はっちゃけるのは次回から。
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