アールが来た日に初雪が降ってから、屋根も地面も真っ白なままだ。
「ケイちゃん、この辺って冬が長いの?ずーっと雪降ってるよね。」
「うん。でも、夏は夏で暑いよ。」
「夏はなにして遊んでんの?」
「釣りとか。」
「泳いだりしないの?」
「んー。ちょっとくらいは泳ぐけど。」
「俺、住んでるトコ港町でさ、海がすっげぇキレイなんだよ。」
「ホント?いいなぁ。」
「夏はさ、今度は俺んち遊びに来なよ。ばぁちゃんも一緒に。」
「それいいね!ばぁちゃんにおねだりしてみよっと。」
「な。いいだろ?」
「じゃーさ。ダイビングとか出来るの?」
「ダイビング出来る場所なんて、いくらでもあるよ!」
「アールくん、教えてね。」
「お・・・?おぉ・・・。」
アールはダイビングなどやったことはない。
けれどもケイに、こんな風に顔を覗きこまれて、教えてね、と言われてしまうと、強がるしかなかった。
「(・・・ま、帰ってから泳ぎも猛特訓するか・・・。)」
でも、ケイに、自分が生まれ育った街のキレイな海を見せてあげたい。
ケイと一緒に、海で泳いだり、潜ったりしたら、さぞ楽しいだろう、と思うのだ。
「う・・・。にゃんこ・・・。」
すっかり雪遊びにも慣れたアールが、この前ケイと二人で作ったイグルーで遊んでいると、ネコが近寄ってきた。
「ま・・・また飛び掛かるのかな・・・。」
そういえば、ケイが、ネコにも人の言葉が分かる、と言っていたのをふと思い出した。
「あ・・・あのさ・・・。飛び掛るのはナシで・・・。」
すると、ネコはアールの顔をちょっと見上げて、飛び掛りはせずに、鼻先を近づけてきた。
「え・・・?におい嗅ぐの?雪のにおいしかしないと思うけど・・・。」
アールが差し出した手を、ネコがくんくんとにおって、気が済んだのか、アールから離れていった。
ケイの言うとおり、言葉が分かるのかもしれない。
これはケイに報告しなければ、と思った。
「ケイちゃん、どこにいるんだろ?」
「あ。ピアノー。久しぶりだね。」
「たまには弾かないと、指がなまっちゃうからね。」
「ばぁちゃんのピアノの音、キレイだから好きなんだ。」
「そう?ピアノがいいのかもよ。」
ケイは、おばあちゃんがピアノを弾くところを見るのが大好きだった。
おばあちゃんは時々、思い出したようにピアノの前に座り、いろいろな曲を弾いては、ケイに聞かせてくれた。
「ケイもピアノ、覚えたいな。ばぁちゃん、教えて。」
「ばぁちゃんのは我流だからねぇ。覚えるならちゃんとした先生についたほうがいいよ。習いに行くかい?」
「ばぁちゃんに教えてもらいたいんだもん。」
「これ、なんていう曲?」
「”春の歌”っていうの。」
「へー。キレイなメロディ・・・。」
「ケイもこんな風に弾きたいなぁ。」
「このピアノ、ケイちゃんにあげるよ。」
「ホント?」
「ばぁちゃんが弾けなくなったらね。」
「・・・じゃ、いらない。」
「あら、どうして?」
「だって、ずーーっとばぁちゃんに弾いてて貰いたいもん。」
「ふふっ。そうかぁ。」
ピアノは覚えたいし、おばあちゃんがくれる、というのなら、このピアノを譲り受けたい。
けれどそれが、おばあちゃんが弾けなくなったら、というのであれば、話は別だ。
だったら、ピアノはケイのものにならない方がいい。
こうやって、ずっと側で聞いていたい。
そして、いつかピアノが弾けるようになったら、おばあちゃんと一緒に弾きたい。
・・・そんなことを考えながら、キレイなメロディに耳を傾けていた。
「ん・・・?ピアノの音・・・?」
ケイを探していたアールだったが、おばあちゃんの部屋の前を通りかかると、部屋の中からピアノの音が聞こえてきた。
「ケイちゃんもいるのかな?」
アールはそっと部屋の戸を開けてみた。
「ケイちゃん、いる?」
「ケイちゃ・・・。」
おばあちゃんがピアノで美しい曲を奏でている。
そして側では、ケイがうっとりとした表情でそれを眺めている。
「・・・。」
アールは言葉が出なかった。
ここには、自分が入っていけない世界がある。
ケイとおばあちゃんだけの空間だった。
それがなんだかたまらなくうらやましい。
アールがここにいるのに、二人ともまったく気付かずに、鍵盤から零れ出る音符の洪水に、二人の姿が霞んでいく・・・そんな気さえしたのだった。
「(ケイちゃん・・・)」
ケイといろいろな話をして、秘密を共有し合った。
いろいろなところに遊びに行って、ケイにいろいろなことを教えてもらった。
ケイとは、親友とも呼べる仲になったのではないか・・・なんて考えていた。
だけど、やっぱりケイは、自分とは違う世界の住人みたいだ、と思った。
「(ケイちゃんって・・・どういう子なんだろ・・・)」
この家は不思議だ。
自分の家にいるよりずっと自由に振舞える。
だけど、ふと我に返ると、アールは考えてしまっている。
『なにかが違う』、と・・・。
「(一緒に暮らせたら・・・。)」
それでもアールは、ずっとここにいたい、と思うのだ。
もっと、ずっと長い時間を、ケイとおばあちゃんと一緒に過ごして、自分もここに馴染みたい、と強く思うのだ。
「外が明るいな・・・。」
春が近付き、夜が明けるのが早くなってきた。
じきに雪も溶けるのだろう。
「あ。電話。」
「おとうさん・・・か。」
父親からの電話。
用件は分かっている。
アールがここを離れる時が近付いてきたのだ。
「もしもし。・・・うん。元気。おとうさん、仕事終わったの?」
「うん。・・・うん。ん?・・・うん、分かった。」
出張先での仕事を終えた父親が迎えに来る、という電話に、アールはうなずくしかなかった。
本当はここを離れたくない・・・ということは父親には言えない。
急に現実に引き戻されたような気がした。
「ケイちゃん、あのさ・・・。」
「ん?」
「おとうさんから、迎えに来る、って電話あったんだ。」
「あ、そっかぁ。もうすぐ冬休み終わりだもんね。」
「そっかぁ・・・。帰っちゃうんだね。」
「(あれ・・・?)」
ケイがちょっと寂しげな表情をした。
それがアールには意外だった。
ケイなら、あっさりと、『じゃ、元気でね。』などと言うかと思っていたのだ。
「あのさ、俺、手紙書くから。」
「うん。ケイも書くね。」
「また遊びに来るし、こないだも言ったけど、夏になったらウチにおいでよ。」
「うん。行くよ。」
ケイがちょっぴり元気がなくて、言葉数が少ないのは、自分との別れを惜しんでくれているのだ、とアールにも分かった。
ケイが自分と同じ気持ちでいてくれたことが、とてつもなく嬉しかった。
~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~
過去編、次で終わりです。
0 件のコメント:
コメントを投稿