「うーん・・・。」
「頭の中がなかなか切り替わらないんだよなぁ。」
「そりゃそうですよ。今まで数字と記号ばっかり眺めてたんですから。」
教員に採用するに当たっての条件は二つ、と理事長が言った。
その一つ目は、理数系の教師は頭数が揃っているため、文系、主に地理や歴史を教えて欲しい、ということだった。
実家に顔を出し、就職が決まった、と報告してから大学に戻ってきたアールと怜だったが、アールはそれからずっと、地理・歴史の知識を詰め込むことに必死だったのだ。
「せっかく来たんですから、1曲くらい歌いませんか?」
「うーん・・・。それもそうだよなぁ。」
学生寮の面子で飲み会を開いていても、アールは歴史の本を手放せない。
けれども息抜きは必要、とばかりにアールはマイクを手に取った。
「んじゃあ、ま、軽くアニソンメドレーでも。」
「いいでしょう。」
歌っていれば多少気分は軽くなるが、なにせ着任するまでに試験を受けて資格を取らなければいけないのだ。
その重圧を振り払おうと、アールは声を張り上げる。
「こればっかりはアールくんには敵いませんね。」
「へへっ。」
たいして歌がうまいというわけではないが、とにかくいろいろな曲を知っていて、大声で歌う。
その雰囲気で注目されるタイプだ。
人目を引く、ということに関しては、アールが怜に勝てる唯一のこと、と言っていいだろう。
「カラオケは楽しいんだけどな・・・。」
カラオケで歌ったり、ゲームをしたりしていれば、一瞬は楽しいが、現実に引き戻されるのも早い。
「・・・あ。間違った。違う違う。どうしてこう難しいんだ?」
昔から理数系は得意だったが、暗記物はどうにも苦手だった。
「うわ。やべ。授業行かなきゃ。」
卒業するために取らなければいけない単位もあるのだが、そちらは得意分野なのでなんとかなるだろう。
今のアールにとっては、第一優先は、地理・歴史の勉強の方だ。
ところが。
「あれっ?なんか理解できなくなってるぞ・・・。」
どうにも教授の講義が頭に入ってこなくなってしまった。
「・・・マズイ・・・。眠たい・・・。」
授業中に居眠りしてしまうなど、今まではなかったのに、頭がついていかず、つい眠り込んでしまう。
「アールくん・・・起きてくださいよ・・・。」
「んー・・・。」
「まったく・・・後でノート見せてってどうせ言うんでしょうけど・・・。」
怜がいるから、という安心感もあって、アールは講義も聴かずに眠ってしまうのだ。
怜もそれは解っているが、以前からそうやって頼られているので、今更、という感じではある。
「よしっ。完璧です。」
「はっ・・・。」
アールが目覚めたのは、授業の終わりのチャイムが鳴ってからだった。
「さて。帰りますか。」
「・・・すっかり寝ちゃったな・・・。」
「怜ちゃん。寮に帰ったら今のトコ教えて。」
「ほらね。」
「・・・ってな感じなんですよ。まったく。」
「ま、それが採用の条件なんだろう?」
「そりゃそうですけど。」
怜は四郎にぼやいてみるが、四郎のほうもいつものことだ、と取り合ってくれない。
「ま、いつものアールくんとそう変わらないですけど。」
「最後まで面倒見てやれよ。」
「それはそうと、もう一つの条件のほうはどうした?」
「そっちは僕は知りません。」
「けど、今と別に何も変わらないわけですから。」
「それもそうか。」
怜と四郎はそんな風に言い合っているが、アールにとってはそのもう一つの条件の方が重かった。
「しかし、なんでまた三年なんだ?」
「人寄せパンダだって言ってましたよ。」
「人寄せ?」
「教師に美男・美女を揃えて、生徒を集めるんだそうですよ。」
「ほぉ。なるほどなぁ。」
「教師がイケメン揃いだったら、父兄の受けもいいっていうことらしいですよ。」
「アールがイケメンか?あれで?」
まぁ、アールはイケメンの部類だろう。
理事長は、採用の第一条件は顔、と言い放ったのだ。
「あ・・・あのさ、しぃちゃん・・・。」
「なぁに?」
「あの・・・俺が卒業してもさ・・・。」
「アールくん、会いに来てくれるよね?」
「うん。月に一回くらいは。」
「えっ?毎日来てくれないの?」
「毎日はムリだよ・・・。ちょっと遠いから・・・。」
「えーっ?じゃ、しぃ、試験とかどうすればいいのー?」
「うーん・・・自分でちゃんと勉強しなきゃ。しぃちゃん、やれば出来るんだから。」
「えー・・・困ったなぁ・・・。」
「そんでさ・・・しぃちゃん、2年後には卒業するだろ?」
プロポーズしよう、しよう、と思っていたが出来ないまま、時間だけが過ぎていた。
けれど、結果的にはそれが幸いしていた。
理事長の採用条件のもう一つは・・・3年は結婚しないように、ということだったのだ。
例えば付き合っている人がいるとして、別れろ、とは言わないが、生徒には黙っていて欲しい、ということだった。
けれど、それでも、いやだからこそ、将来の約束はしておきたい、とアールは思ってたのだ。
「あ!そうだ!じゃ、しぃが会いに行くよ!」
「え?」
「だけど、結構距離あるし・・・。」
「ね、アールくんが行くトコって、テーマパークある?あと、おしゃれなブティックとか。」
「いや・・・田舎だからそういうのは・・・。」
「えっ?ないのー?がっかりー。」
「・・・ゴメン・・・。でも、遊びに行くわけじゃないんだし・・・。」
「つまんないー。もっと都会に就職してくれればよかったのにぃー。」
女の子をがっかりさせない、というのを信条にしているアールでも、こればかりはどうしようもない。
それからしぃとは何回も話をしたが、どうにも話がかみ合わず、プロポーズ出来ず仕舞いだった。
やがて春が過ぎ、最後の試験が終った。
夏を目前にして、アールは無事、卒業の日を迎えたのだ。
「アールくんも無事卒業出来ましたね!」
「怜ちゃんのおかげだよ。ありがとう。」
「これでアールくんの世話から解放されるんですね~。」
怜が手放しで喜んでいるところへ、しぃがやってきた。
「アールくん。」
「しぃちゃん!来てくれたんだ!」
「当たり前じゃない!」
「卒業、おめでとう!」
「ありがとう。嬉しいよ。」
しぃには、卒業式に来て欲しい、と一応言ったものの、来てくれるかどうか不安だった。
なにせ話をしていても、しぃはいつもつまらなそうな顔をしていたのだ。
「ホントに卒業しちゃうんだね・・・。」
「しぃちゃん・・・。」
「寂しいな・・・。」
けれど、この日になって初めて、しぃはアールが自分の前からいなくなってしまう、ということを実感した。
今までアールに頼りきりで、なのに明日からはアールはもうこの街からはいなくなる。
そう思うと心底寂しかった。
「アールくん、あのね。しぃ、考えたんだけど。」
「なに?」
「やっぱり毎日会いに行くのも難しいから・・・。」
「うん・・・。」
「毎日電話する。」
「俺も電話するよ。」
「ホント?」
「もちろんだよ。・・・ね、しぃちゃん。記念に写真撮ろう。」
「うん。」
「俺、ずっと持ち歩くから。」
「じゃ、かわいい顔しなくっちゃ。」
「しぃちゃんは普通にしてても可愛いよ。」
「ほら。笑って!」
「うん!」
二人でとびきりの笑顔を作って、フレームに収まった。
これが将来の約束になるとは思えない。
だけど、その想いを込めて、アールはしぃの肩を抱きしめていた。
「アールくん、しぃのこと忘れないでね。」
「忘れるわけないだろ。」
「会いに来てね。」
「しぃちゃんも遊びにおいでよ。」
「うん。」
ふいにしぃが抱きついてきたので、きっとしぃも同じ想いなのだろう、とアールは思った。
「(よかった・・・しぃちゃんが分かってくれて・・・。)」
こうしてアールは大学を卒業し、実家に戻って着任の準備を進めることとなった。
「お母さん、こんにちは。アールくんいます?」
「ああ。怜ちゃん。アールなら裏庭にいたと思うけど?」
「ちょっと待たせてもらいますね。」
「約束してたの?」
「いえ。顔見に来ただけですから。」
アールの世話から解放された、と喜んだ怜だったが、何日も顔を見ないと、やはり落ち着かない。
と、いうか、アールの面倒を見なくなってから、暇でしょうがないので、遊びに来るのだった。
「あ。怜ちゃん、来てたんだー。」
「アール、あんたなにやってんの?怜ちゃんずーっと待ってんのよ?」
「ゴメン、ゴメン。雑草伸び放題になってんのが気になってさ。」
「いいですよ、別に。ちょっと遊びに来ただけなんで。」
「アールくん、荷物まとめました?」
「いやぁ、まだまだ。怜ちゃん、手伝ってよ。」
「イヤです。そのくらい自分でやってくださいよ。」
「うーん・・・荷物まとめるのもアレなんだけどさ・・・。」
「怜ちゃん、一緒に来ない?」
「は?」
「俺と一緒のトコ就職してさー。教師になってさー。また一緒にさー、部屋借りてさー。楽しいよ?きっと。」
「何言ってんですか。」
「だって職員寮、狭いんだぜ?大学の寮の部屋の半分以下だぜ?」
「僕はアールくんの世話は卒業したんです。」
「だよねー。」
「アール、あんたなに馬鹿なこと言ってるの!怜ちゃん、かわいそうじゃない。」
「・・・。」
アールは怜の顔を見ると、こうやって依存してしまう。
父親や母親よりも、なぜか怜に甘えてしまうのだ。
「けどさぁ。ホントに職員寮、狭いんだよ。共有スペースは有るけど、自分の部屋はベッドと机置いたらいっぱい、って感じ。」
「普通そうでしょう?」
「寝に帰るだけの部屋なんてなぁ・・・。」
「だったら一人暮らししたらどうです?」
「そしたら家賃払わなきゃいけないじゃん。お金貯めたいのに。」
「あ。そうだ。アール、メドウ・グレンだったわよね?あんたが働く学校。」
「そうだけど?」
「あそこ、おばあちゃんちがあるじゃない。」
「おばあちゃん?」
「あんた、覚えてないの?子供の頃、行ったでしょ?」
「え?ばあちゃんち?」
「女の子がいて・・・ええーっと・・・ケイちゃんだっけ?あんた一時期ご執心だったじゃない!」
「へぇー。アールくんにそんな子が?」
「そうなの。せっせと手紙書いて、ケイちゃんケイちゃんって。」
「幼馴染、っていうヤツですねー。」
「母さん、そんな話はいいから。で、ばあちゃんの家がどうしたって?」
「あそこ今、誰も住んでないはずよ。おばあちゃんがいなくなって、ケイちゃんも身内の人に引き取られたはずなんだけど。」
「そっかぁ・・・。空き家ならもったいないよな・・・。家賃いらないし・・・。」
「ちょっと、親戚のおじさんに聞いてくるわ。あんたから就職先聞いてから、気になってたのよ。」
「うん。お願い。」
「いい話じゃないですか。」
「幼馴染の女の子ですって?」
「そこは突っ込まないでくれないかな。」
「どうしてですか?嫌われてたんですか?」
「違うよっ。」
「ケイちゃん・・・か・・・。」
なんとも懐かしい名前を聞いたものだ。
面接に行った時に訪れたが、子供の頃、雪の降りしきる時期に過ごした街と同じ場所だとは思わなかった。
もっとも、子供の頃は、おばあちゃんの家の周辺しかうろついていないし、街の中心地はここ最近になって開発されたのだから、分かるはずもない。
「そうか・・・。」
親戚に連絡を取ってくれた母親によると、長い間無人のままなので、住んでもらえればありがたい、という話だった。
それに、年に一回ほどはメンテナンスをしているので、住むのに支障はない、ということだ。
「あの街で・・・俺、教師になるのか・・・。」
離れたくない、と子供の頃思った。
あのままずっと、おばあちゃんとケイと三人で暮らせたら・・・と考えた家に、自分一人が戻っていく。
懐かしくもあり、甘酸っぱい思い出もある。あの場所に本当に住むことが出来る・・・と思うと、アールはなんだか安心した。
本格的に夏に入ろうという日に、アールは旅立った。
「父さん、母さん、そろそろ行くから。」
「元気でね。たまには帰ってらっしゃいよ。」
「分かってるよ。」
「アール、立派な教師になれよ。」
「大丈夫。」
「いってらっしゃい。」
「気をつけてな。」
こうしてアールは故郷を離れ、メドウ・グレンへと向かったのだった。
~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~
いやぁー・・・3ヶ月も空いてしまいました・・・。
時間って・・・時間って・・・流れるのが早くて・・・。
次からやっと本編なのです。大丈夫です。
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